大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

新潟家庭裁判所三条支部 昭和40年(家)1343号 審判

申立人 川田タケ(仮名)

相手方 渡辺ミサ(仮名) 外一名

主文

一  別紙目録の不動産を競売に付しその売得金から競売手続の費用を控除した残額につき、申立人及び相手方等において各平等に分配すること。

二  本件審判手続の費用中、鑑定人増井英松、同阿部吉治に支給した日当及び鑑定料の合計二〇、〇〇〇円につき、内金六、六六八円を申立人の負担とし、その余を相手方等二名の均分負担とする。

理由

第一、申立人は、被相続人川田テルの遺産について分割の調停を申立てた。

その申立の要旨は申立人及び相手方等は被相続人の子であるが、被相続人は昭和三五年一二月八日死亡し相続が開始したところ、その遺産は別紙目録の物件であるが、その分割について申立人と相手方等との間に協議が調わないので、この調停を申立てたと、いうのである。

ところで、この調停事件(当庁昭和三九年(家イ)第三二号)は、昭和四〇年九月一四日不成立となり、本件審判事件に移行するに至つたのである。

第二、(調査の資料)

当裁判所は次の資料に基き事実関係を調査した。

本件記録中の戸籍謄本・除籍謄本・登記簿謄本・加茂市長の回答書及び相手方等を各審問した結果並びに鑑定人増井英松・同阿部吉治の鑑定の結果

第三、(調査の結果)

二、(身分関係)

被相続人川田テル(明治三一年五月五日生)は、昭和三五年一二月八日死亡し、相続人は、相手方ミサ(二女大正一五年一〇月二九日生)申立人タケ(三女昭和四年一〇月二一日生)相手方雄次(四男昭和七年六月一八日生)の三人である。但し、被相続人の夫康道は昭和二一年四月二〇日に死亡しているし、長男公一は昭和一九年中戦死し、二男龍平は失踪宣告により昭和三一年九月一〇日に死亡とみなされ、三男寅雄は大正一四年七月二一日に死亡し、長女ミサ(二女と同名)は大正一〇年七月三一日に死亡している。

二、(相続分)

民法第九〇二条による相続分の指定はなく、民法第九〇三条による遺贈又は生前贈与もない。

よつて、申立人及び相手方等は民法第九〇〇条により各三分の一ずつの相続分を有するものである。

三、(遺産)

被相続人の遺産は別紙目録に示すとおり宅地二筆・山林二筆・家屋一棟である。

四、(家庭の実情)

申立人及び相手方等は以前被相続人と共に別紙目録の家屋において親子姉弟として共同生活をしていたのであるが、相手方ミサは昭和二六年六月二日渡辺昭郎方へ稼ぎ、その後は被相続人と申立人及び相手方雄次の三人で暮していた。そして、申立人は加茂市内の工場等へ勤め相手方雄次は屏風の行商をして共同生活をしてきた。

ところが被相続人死亡後、相手方雄次はとかく申立人を邪魔扱いにし「出て行け」と言つたり、時折暴行を加えるようになり、申立人は昭和四〇年九月八日に殴打されて以降同居に堪えないというので相手方ミサ方に身を寄せて今日に至つている。

第四、結論

当裁判所の調停委員会において、当事者間に円満妥協するよう種々調停を試みたが遂に合意成立に至らず、やむを得ず法律に従い遺産分割の審判をしなければならないことになつた。

そこで、考察するに、鑑定の結果によれば、遺産の内山林は二筆で価格七五、〇〇〇円位で、宅地建物は合計で約四八〇万円位であるところ、二筆の宅地は接続しており、その二筆にまたがつてその上に建物(住宅)が存在している状態である。従つて、この宅地建物を現物分割することは不可能ではないにしても著しく困難であるのみならず、もし現物分割するならばその価額を著しく減損し当事者にとつて不利益であること極めて明らかである。

又これを共同相続人中の特定の者の所有とし他の相続人に債務負担の方法を採ろうとしても各相続人共資力乏しく、この方法は相当でない。

よつて、以上の認定事実と、当事者の職業地位その他一切の事情を総合考察し、本件遺産を競売に付し、その売得金から競売手続の費用を控除した残額を相続分に応じ分配することが最も適切であると認め、なお、本件審判手続において鑑定人二名に支給した費用二万円については申立人及び相手方等の均分負担とすべく、主文のとおり審判する。

(家事審判官 荒井重与)

(別紙目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例